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ノイマンU47:世界初の指向性スイッチ搭載型コンデンサーマイク
一体、これまでに何人・何社がこのマイクの音を追いかけ、追い求め、再現しようとしたのか?
とにかく1949年というこの年、天才ノイマンは現代レコーディングの礎とも言うべきコンデンサーマイクU47を世に放ったのです。
発売時の価格は米国ドルにして約400ドル。当事としては大変高価な価格にも関わらず、世界中の音楽スタジオがこぞってこのマイクを導入した結果、U47はまたたく間に世界のスタンダードとなりました。特にアメリカでの人気は凄まじく、アーティスト写真はもちろん、当事のテレビ映像やドキュメンタリー作品、果ては歌の歌詞にまで、今日でも振り返れば至るところでこのマイクの面影を見つけることが出来ます。
しかし、ノイマンがU47に仕込んだ最大の特色は、実はその素晴らしい音質とは別の箇所にあったのです。
「二つの指向性を切り替えるスイッチの搭載」―これこそが既製のコンデンサーマイクとこの固体を決定的に別物とせしめるノイマンのこだわりであり、またしても世界初の実績となりました。
想像してみて下さい。私たち現代のエンジニアはレコーディングで録るべき音の性格や部屋の特性によって当たり前のように指向性スイッチを切り替えますが、その「日常の当たり前」がすべてここで始まったのです。現在私たちが使う機材や録音技術の進歩、さらにその先にある音楽そのものの変化に至るまで、この発明が未来に与えた影響の大きさは容易に計り知れません。
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1950年代:技術革新によるニーズの多様化
U47が世界のスタンダードとして受け入れられて行った頃、世の中にはテレビ放送とステレオ音響という大きな革新の波が到来しており、マイク生産者に対して現場から寄せられる要望の種類も数も、気がつけばそれまでよりずっと増えていました。
この時期新たに発売された世界初の「リモコン操作で指向性を切り替えられるマイク」M49や、小型化をテーマに設計されたKM56などをはじめとする「ペンシルマイク」の多くは、テレビ放送収録現場を想定した需要に対する、ノイマンの解答でした。
特にペンシルマイクの型番KMはドイツ語「クライネ・ミクロフォン(小さなマイク)」の頭文字から来ており、今でもKMシリーズはスラリと細い姿していることが多く、きらびやかな高音を収録しながら余分な低音はきっちりと抑えてくれることで知られています。
また、単独でステレオ収録が可能な「ステレオマイク」という製品も開発され、このタイプのマイクを世界ではじめて市場に投下したのもノイマンでした。世界初のステレオマイクSM2は、二つのKM56をひとつの筐体に同居させるという機械構造をしていたため、ステレオの片方だけを採用すればモノラルのKM56として使うこともできるというユニークな性質を持っていました。
余談ですが、私がはじめてこのマイクを知ったときは「SHUREみたいな型番のノイマンマイク」ということで使ったことも無いのにやたらと印象に残ったのを覚えています(笑)。でも今考えると、KMがドイツ語で「小さいマイク」なので、もしかしたら「Small Microphoneが2つ」という事で「SM2」だったのかもしれません。
U67への進化
1950年代も末に差し掛かったある日、U47の心臓部である部品の製造中止が決まったという知らせが、ノイマンの元に届きました。
今や世界中のスタジオでなくてはならない存在にまで成長していたU47。
「何とか生産を継続しなければ―。」
必要に迫られたノイマンは、やがてまったく別の部品で構成された新しいU47の構想を余儀なくされるものの、よもや常に革新性を追求してきた彼が「既存製品のクローン」という退屈な仕事に甘んじて留まるはずはありませんでした。
試行錯誤の結果開発されたU67は、U47開発時には不可能だった三つの指向性を備えた仕様となり、また近接収録が流行り出した事を受け、新たにハイパス機能と-10dB padを搭載した、まさに最新型のマイクとして世に送り出されたのです。
こうして登場したU67の成功は言うまでも無く、その人気絶頂期に配布された広告には普及率に裏付けられた売り手の自信がよく表れているという逸話が残っています。
その広告にはU67の写真と共に一言、ただこう書かれていたそうです。
「みんなに訊いてごらん」。
トランジスタ式マイクの発表とファンタム電源
60年代も半ばに入ると、電子回路での真空管の役割は徐々にトランジスタの利用へと置き換えられていきました。同様の変化はやがてオーディオ界にも訪れ、ノイマンもトランジスタを用いたマイクの開発に乗り出します。「KTM」はそんなノイマン社にとって初のトランジスタ駆動式マイクとなりました。
ところが、この新型マイクをノルウェーの放送局に紹介したノイマン社は、電源供給についてのある要望を受けました。いわく、放送局で補助照明用に用意されていた48V電源(ファンタム電源)をマイクに使えないものか、というのです。
48V電源はそもそも20世紀初頭のダイヤル電話の登場と共に普及した規格ですが、この放送局では陽の短いノルウェーの冬に備えて設けられた補助照明に使うパワーを、たまたま電話用の予備電源から引いていたのだとの記録が残っています。
ともあれ、こうした事情から生まれた新しいトランジスタマイク「KM84」は、世界で初めて48V電源で駆動するマイクであると共に、マイクの電源としてのファンタム電源がポピュラーになる、最初のきっかけを作ったのでした。
1960年代:真空管からトランジスタへの移行
現代でこそ音響機材などの特定分野における「嗜好品」として、特別な価値を持つ真空管ですが、当事は数多くの電気機器に真空管が使われていました。
理由はただひとつ。選択肢として「それしかなかった」から。
たとえば初期のコンピューター内の部品としても真空管はごくありふれた存在でしたが、その大きさ、使用電力量、発熱なども含め、デメリットの塊と言っても過言ではありませんでした。
トランジスタの登場は多くの場合において、そんな真空管の問題点を次々と解決してくれました。それまで真空管に頼っていた機械はより小型に、より高速に、より効率化された製品へと発展を遂げられたのです。
古い真空管マイクを目にする機会があれば、ぜひ確かめてみてください。分厚くて硬い専用ケーブル、重量感のある電源ユニット、真空管が温まるまでの待ち時間―。現代であれば「いかにも年代物らしい」という事で有り難がられるかもしれませんが、実用的な進化を急ぐ1960年代半ばにおいてそんな悠長な話が通じるべくもありません。目にも留まらぬ進歩の時代、誰もが渇望しながらもノイマンにしか為しえなかった仕事、U67のトランジスタ化が構想され始めるのはもはや時間の問題でした。
歴史的集大成、U87への到達
結果的に、U67は二通りの進化を遂げる事になりました。
ひとつはU77、そしてもうひとつが現代まで続くU87。どちらもU67のトランジスタ版ですが、電源供給の方式という点で異なっていました。
U77が採用した電源供給方式は「トーナーダーシュパイスング」とか、または単に「Tパワー」などと呼ばれ、これまでの重く分厚いコンデンサーマイク専用ケーブルの代わりに一般的なマイクケーブルが使用できるようになったという利点がありました。
この規格はKTM(ノイマン社にとって初のトランジスタ式コンデンサーマイク)にも採用されており、その後しばらく続いたものの、大きく普及するには至らず、今ではほとんど耳にする事もなくなってしまいました。
一方、U87を含む80番代にはKM84に引き続き48Vファンタム電源が採用されています。最終的に80番台の型番を持つFETマイク(*FET=「フィールド・エフェクト・トランジスター」の略)はファンタム電源の浸透と共に徐々に数を増やし、現在まで受け継がれています。U87はその後も何度かマイナーチェンジを経て現在入手可能なU87Aiまで続いていますが、もともとノイマンによる設計図は全部で20通り以上存在しており、どの設計図に基づいて作られたU87も音質的な違いはまったく無かったというノイマン自身による報告が残っているのだそうです。よく時代ごとのU87を比較して音が微妙に違うという人気の議論がありますが、もし彼がその議論を耳にしたら何と言うでしょうか?いずれにしても、興味深い逸話だと思います。
終わりに
人々を魅了して止まない数々の素晴らしいマイクの他にも、ここではおよそ紹介し切れないほどの発明品を世に残し、ゲオルグ・ノイマンは1976年の8月30日、ベルリンの短い夏が終わる頃、その偉大な77年の人生に幕を閉じました。
ノイマンに関する記述が残された古い記事などを読むと、無口でまじめで、しかし生涯に渡り己の情熱を貫き通す力を絶やさなかった彼の力強く、確信に満ちた人となりがありありと伝わってきます。
誰のために、何のために音の道を突き詰めるのか?自分に問いかけたとき、こうしたノイマンの生き様は私を原点に立ち返らせ、見失いかけた大切なことを再び手繰りよせる勇気を与えてくれます。
現代の音を担うあなたが彼のマイクに触れた時、ノイマンが目指し続けた革新性を受け継ぐための小さな助けに、この記事がなることを祈って止みません。