クイックスタート
実機マニュアルにあるスタート設定です。プラグイン版でコピーするには、次の様にします。
1.INPUT GAIN を「10」に合わせる。
2.TIME CONSTANTを「3」に合わせる。
3.THRESHOLDを「0」から徐々に上げていく。
4.VUメーターを使い、GR(ゲイン・リダクション)を確認する。
プラグイン版のデフォルト設定は各社によって異なりますが、オリジナルで基本とされたこの設定はFairchild 670の特性を理解する上でも優れています。
Fairchild 670基準でいう所の、アタック遅め、リリースやや遅め。そして回路を通過する事で得られる「音のキャラクター」も、中くらいの分量足す事ができます。
実機を理解すれば、どのプラグイン版でもすぐに使える!
現代の私たちが普段扱うのはエミュレート版Fairchild 670である場合がほとんどですが、元となる実機がある以上、オリジナルを知ることがプラグインのポテンシャルを引き出す早道になる事は言うまでもありません。
関連記事:「Fairchild 660/670」設計者の素晴らしき人生
これ以降は実機のFaichild 670を念頭に置き、Universal Audio版との比較を交えながら、実用的な話をしていきます。
では、さっそく基本的な箇所から順を追ってみていきましょう。
インプット・ゲインとスレッショルド
Fairchild670には、インプット・ゲインとスレッショルド・ノブが個別に用意されています。これは、インプット・レベルによってゲイン・リダクション(Gain Reduction/GR/コンプされる量)が決まるLA2Aや1176といったコンプレッサーとは仕様が異なります。
たとえば、Farichild670で3dBのゲインリダクションをする場合、①スレッショルドを固定してインプットの値を上げていくやり方と、②インプットを固定してスレッショルドの値を上げていくやり方があります。
どちらのやり方でもゲインリダクションはほぼ同じように起こりますが、「付加される倍音量(真空管によるディストーション)」に違いがあります。これがいわゆる「Fairchild670のキャラクター」とか、「音」と言われている部分です。
「インプット・コントロール」は、回路上、真空管の手前にあります。つまり、インプット・ゲインを上げる程、真空管のオーバードライブが起こり、音により多くのディストーションが付加されるというわけです。
ディストーションを抑え、クリアな音を保ちたいのであれば、インプットを控えめに設定し、その分スレッショルドの値を上げます。逆に、たくさん倍音成分を足したいのであれば、インプット・ゲインを上げ、スレッショルド値を小さめに設定するといいでしょう。
求める音によって、コンプレッションのアプローチを変えられる点が、インプットとスレッショルドを独立的にコントロールできるFairchild670の利点という事です。
コンプレッションゼロのまま、アナログ感だけを足す事も可能!
よく知られた手法ですが、Fairchild 670はスレッショルドを「0」に設定すると、まったくコンプレッションが起こらなくなります。つまり、Fairchild670の回路を持ったプリアンプが完成するわけです。
この状態で、INPUT GAINをマックスまで上げると、一切ゲインリダクションする事なく、Fairchild670のキャラクターだけを最大限付与する事ができます。
これはもちろんプラグインでも実践する事ができます。
アタック値とリリース値(TIME CONSTANT)
Fairchild670は、アタックとリリースを個別に設定する事ができません。
特に、アタックタイムは早い・遅いの2通りしかなく、早い方が200ms(0.2秒)、遅い方が400ms(0.4秒)と、どちらも結構遅めです。
Fairchild 670では、この2通りのアタックタイム+異なるリリース・タイムの組み合わせが合計6パターン用意されていて、「TIME CONSTANT」ノブは、その6つの組み合わせを切り替えられるようになっています。
公表されている各ポジションのアタック値とリリース値は下記の通りですが、実際の数値には多少の誤差があります。プラグインのエミュレートにあたり、Universal Audioはこの誤差の部分にも注意を払っている様です。
1. Attack : 200ms / Release : 300ms
2. Attack : 200ms / Release : 800ms
3. Attack : 400ms / Release : 2000ms(2秒)
4. Attack : 400ms / Release : 2000ms(2秒)
5. Attack : 400ms / Release : Auto (トランジエントが1つの場合は2秒、複数のトランジエントが持続した場合は10秒)
6. Attack : 200ms / Release : Auto (トランジエントが1つの場合は300ms、複数のトランジエントが持続した場合は10秒、それ以上トランジエントが持続する場合は25秒)
実機のマニュアルでは、「1」と「2」はスピーチやポピュラー音楽、「4」はクラシック音楽、「5」と「6」は深いコンプレッションと透明さを両立したい場合に最適、そして、基本設定は「3」という事になっています。
プラグイン版でのTIME CONSTANTの初期位置は各社で異なっており、たとえばUniversal Audio社は「5」、Waves社では「1」がデフォルトに設定されています。
D.C.スレッショルド(D.C.THRESHOLD)
オリジナルのFairchild 670において、コンプレッション・カーブは実は固定ではありません。
これは、1:1から1:20まで可変するレシオの話を言っているのではなく、それらのレシオを遂行するためのコンプレッション・カーブの微調整ができるのです。
「コンプレッション・カーブ」を変えるには、D.C.スレッショルドを調整します。まず、下のグラフを見てください。
A.C.THRESHOLDというのは、先ほど説明した「スレッショルド・ノブ」の事です。
③、④、⑤を見比べてください。
スレッショルドの設定はいずれも時計回りにマックスですが、グラフを見ると、D.C.の設定次第でカーブに大きな違いが表れている点に注目してください。
D.C.スレッショルドを半時計周りにするほどKNEEがハードになり、逆に、時計回りにするほど、KNEEがソフトになります。
プラグイン上でのD.C.THRESHOLDの扱いについては各社間で差があり、たとえば、Universal Audioのエミュレーション版は、このD.C.スレッショルドも忠実に再現されていますが、Waves版では調整する事ができません。おそらく、モデリング元となったジョセフ・ジャック・プイグ氏の所有する個体で設定されている値を元に、固定した状態でエミュレートされたのだと思います。
AGC:Left/RightとLateral/Vertical
普段、ステレオ信号の分割と言えば「右・左」と思うのが一般的ですが、Fairchild670は、「LEFT/RIGHT」以外にもう一つのステレオ信号の分割モード、「LATERAL/VERTICAL」モードを持っています。
このモードは、AGCノブを「LAT/VERT」に合わせる事で選択できます。
「LAT/VERT」モードを理解するには、レコードの仕組みについて少し知っていなければなりません。
「横・縦(LAT/VERT)」の概念
CDと違い、一枚のレコードに収録可能な時間数は「レコードの溝の幅」次第で決まります。
そして溝の幅は「音の情報量」によって決まるので、収録する音量(情報量)によって、収録可能分数が伸びたり縮まったりします。要するに、曲数を多くすると、十分な溝の広さが確保できず、音量の小さいレコードになってしまう可能性があるわけです。
更に、ステレオ録音となると、「左右の音」という情報が足され、「真ん中」にしか音の無いモノラル録音と違い、保持する情報パターンがもっと複雑化します。
工場でマスターレコードが製造される時、レコードカッターのヘッドは水平に動いたり上下に動いたりしながらレコードの盤面に溝を削り、ステレオ情報を刻み込んでいきます。
・水平の動き(Lateral)→真ん中の音
・上下の動き(Vertical)→真ん中を除いた左右の音
Fairchild 670は、レコードの溝をより小さく保ちながら、より多くのステレオ音像を詰め込むために登場した機材でもあります。つまり、マスターレコードの製造過程の様に、ステレオ音像を「センター」と「サイド」に分けて処理できる機能が必要だったのです。
「LAT/VERT」モードは、こういう背景から生まれました。
ステレオをミドルとサイドに分けて処理するテクニックは「M-S (Mid-Sides)」プロセスと呼ばれ、ステレオの広さをコントロールするための手法として、現代でも実践されています。コンプレッサーの他に、「ミッド・サイド・EQ」など専用のプラグインが各社から発売されています。
Fairchild 670のM-S機能をうまく使うと、ステレオ・イメージをコントロールできる他、音源からボーカルをほぼ完全に消し去ったりすることも難しくありません。
オリジナルとプラグイン版で仕様が異なる箇所
オリジナルに搭載されていたいくつかのスイッチやノブは、プラグインではまったく別の機能に変更されています。
メーター(METERING)スイッチ
オリジナルのFaichild670には、入力バイアス電流(Bias Current)を調整するためのノブが存在します。
機械分野の話になりますが、入力バイアス電流は、基本的には「ゼロ」の状態が理想です。
入力端子の抵抗に僅かな電流が流れ込むと電圧の降下が起こり、その状態で信号を増幅すると、最終的に音質が劣化します。この現象を防ぐために、オリジナルのFairchild670には、入力バイアス電流を手動でゼロに調整するためのメーターが付いています。
プラグインはデジタルなので、こういったアナログ機械特有の微調整は不要です。UniversalAudioがエミュレートしたプラグイン版では、このノブはIN/OUT/GR(インプット・アウトプット・ゲインリダクション)のモニター切り替えノブに置き換えられています。
WavesのPuigchild670では、ノブ自体が省略されていて、存在しません。
「ZERO」ネジから「HR」ネジへの仕様
「ZERO」は、VUメーターの針を微調整する為のネジで、オリジナルのFairchild670に搭載されていました。
関連記事:VUメーターの概略と、ゲイン・ステージングへの活用テクニック
UniversalAudioのエミュレート版では、「HR(Head Room)」ネジに置き換えられていて、反時計回りに調整すると、プラグインのヘッドルームを増やす事ができます。
右に回していけば、インプット・ノブと同じように、コンプレッションと倍音の付加が起こります。要するに、機能的には「第二のインプット・ゲイン・ノブ」と言ってほぼ差し支えないのですが、デフォルトである16dBを基準に、-4dB、-8dB、-12dBのパッドスイッチとしても機能するという点が眼目です。
WavesのPuigchild670ではこのネジ自体が省略されており、存在しません。
サイドチェイン・リンク
サイドチェイン・リンクは、オリジナルのFairchild670には存在しませんが、この仕様を持つ「改造」された個体が何台か存在している事が知られています。
「S.CHAIN LINK」をオンにすると、両方のチャンネルで常に同量のゲインリダクションがリンクして起こります。アタック・タイムとリリース・タイムは、両チャンネルで設定されたものの平均値が採用されます。注意したいのが、ゲインリダクションのリンクが起こるのは「初期の瞬間的なコンプレッション分」だけだという事です。「CONTROL」のリンクがオフであれば、スレッショルドとインプット・ゲインを各チャンネル毎に個別に設定する事ができるので、この状態でもある程度左右(またはLAT/VERT)でコンプのかかり具合をマニュアル調整する事ができます。
逆に、サイドチェイン・リンクがオフの時は、Fairchild670の両チャンネルは互いの影響を受けず、完全に独立したモノラルコンプレッサー2台として作動します。
「CONTROLS」は、一方で設定したパラメーターがそのままもう一方のチャンネルにコピーされる、デジタルならではの便利機能です。こちらは当然ですが実機にはない仕様です。
また、UniversalAudioのエミュレート版では、この改造に加え、サイドチェイン・フィルター、アウトプットのゲイン・コントロール、ミックス機能などが新しく備わっています。
サイドチェイン・フィルターは、コンプの反応する帯域に対して、12dBのスロープで20Hzから500Hzまでフィルターをかける事ができます。
たとえば、ベースやキックだけが極端にコンプをトリガーしている場合などに、コンプの低音に対する反応を弱くするのに役立ちます。コンプレッションの反応する周波数範囲がフィルターされるだけなので、元の信号がハイパスされるわけではありません。
実機・プラグインを含め、これでFairchild670の機能には大体対応できることと思います。
プリセット要らずのテクニックを身に着けよう!
アデルやホージアのミキシングを手掛けたアンドリュー・シェップスは、Waves社と「Scheps 73」を作る事になったとき、「ところで、Schepsの名前を冠するのだから、もちろんプリセットも作ってくれよ」と言われ、「実はかなり嫌だった」という事を、くだけたインタビューの場で発言しています。
Oh, god… Who am I to say “This is what to do”?
「『これ(プラグイン)はこうして使うんだ』なんて事を私に言えというのか?勘弁してくれ」という様な意味ですが、「スネア用」や「ボーカル用」といったプリセットを作っている側も、気持ちは案外複雑なんだなと想像できる発言です。
「模範解答」が手元にあるのは良い事ですが、自らの手で一からサウンドデザインする事も忘れない様にしましょう。