「耳に痛い原因」を作ったエンジニアリング・ミスを特定する
一口に「細くて耳に痛いボーカル」と言っても、いろんなケースがあります。
声に対するマイクの選択が良くなかったり、収録時のマイクからの距離が不適切だったり、いわゆる「ドンシャリ」系EQやマキシマイザーが掛けられていたり、コンプの設定が未熟であったり、などなど。
誰もがエンジニアを名乗れる昨今の代償として、どれもありがちなシナリオではあります。まあ、今どき「ドンシャリ」って言葉もいい加減ダサい筈なんですけどね…。
「ブリティッシュな音」みたいな空気ワードよりはマシですけど。
最近は自身でミックスも手掛けるDIYアーティストさんも多く、「録ってもらったボーカルがオケに埋もれるんですけど」とか、「良いディエッサー知りませんか」という内容の相談も増えてきました。ただ、よくよく素材を聴かせてもらうと、じつは上で挙げた様な初歩的なエンジニアリングミスが複合的に重なって問題の原因を作っていたという場合がほとんどです。
ですので、今回の記事では、どっちかというと「ミスの修正」的な「マイナスからゼロへ」のアプローチを紹介しようと思います。
あんまりクリエイティブな内容じゃありませんが、その分、教科書を書くつもりで順を追ってしっかりさらって行くつもりです◎
アプローチ① 複数のコンプとEQ/ディエッサーを駆使する
ひとつ先に言いますが、プラグインはインサート数関係なく、フルに活用します。「位相が狂うから最小限の処理で」という話はこの際別です。
血も涙も無い見方かもしれませんが、マイナスをゼロに戻す作業の時点で、言ってみればすでにダメな素材なのです。この際、遠慮したりせず、計画を立てたなら必要な事を必要な分だけやりましょう。
段階的な低音バランスのコントロール
まず、基本的な考え方として、「細い」、「耳に痛い」、と表現される音の不自然感ですが、これは「普通ならそこにあるべき低音の欠落」と「それゆえの全体的な音量バランスの破綻」が原因で、相対的にそう聴こえるのです。低音に関しては、どこか一か所が綺麗な形で欠落しているのではなく、大抵の場合はデコボコしたいびつな形で、複数の場所で不要な所が出っ張っていたり、逆にもっと欲しい所が無かったりします。
高音が激しいからと言って、「高音をどう削るか」でなく、逆に「自然な低音をどう復活させるか」に着目する事が全体のポイントとなります。
手順①:EQ→コンプ(下地作り)
では取り掛かりましょう。まずは下地ならしです。この工程の意義は、後々の作業をやりやすくする為の準備段階的なもので、ビフォーアフターで明らかに違いが分かるような積極的な作業はほとんどしません。
それを踏まえた所で、まずEQです。40Hzあたりで12dB/octaveのハイパスを入れます。これは、場合によりけりで最終的には状況判断となりますが、今回の様なケースでは、次の二つの理由からアドバンテージとなる可能性が高いです。
1つには、一般的なボーカルにおいて、60Hz以下の周波数帯域で音楽的な価値に寄与する情報がほぼないという点。そもそも、素材のレベルを考慮すると、録音者が意図してその周波数帯域に何かを込めたとも考えづらいです。
2つ目の理由は、コンプレッサーの「低音に反応しやすい」という性質に関係しています。まず、今後の手順でコンプを多用していくにあたり、仮に60Hz以下の帯域でノイズがブンブン拾われていたとしたら、それが聴こえる聴こえないに関わらず、本当にスレッショルドに引っ掛けたい対象帯域の邪魔になります。ですので、これ以上問題の種を増やしたくない観点から、カットします。
次に、フィルターについて見落としがちな点ですが、40Hzで12dB/octaveのハイパスをかけたという事は、ハイパスの影響は実は100Hz付近にまでゆるやかに及んでいます。40Hz以下は確かに要りませんが、80Hz~100Hzは別ですので、ブーストで復活させなければいけません。
という事で、50Hz~80Hz近辺の一番適切な場所で0.5~1dBほどブーストします。Qは広めに1.0くらいで良いでしょう。
さて、これでボトムエンドをほんの少しだけ補強しつつ、40~60Hz以下のゴミを排除する手順が完了しました。
この状態で、さっとコンプレッサーを掛けます。ゲインリダクションはごくたまにメーターなり針が揺れて、1dBに届くかどうか程度で構いません。音を全体的にほんのちょっぴり均一化して温めたいだけなので、もし手元にある様なら、LA-2Aみたいなモデルがお勧めです。
関連記事:ジム・ローレンス:LA-2AとTeletronixをつくった男
LA-2Aに準じた製品が手元に無いというのであれば、もちろんDAWのストック・プラグイン的なデジタル・コンプでも十分な仕事をしてくれます。余計な色付けが無い分、むしろこっちの方がこの仕事には適任という場合もあります。いずれにしても、その場合は、レシオ1.5:1から2:1、アタック20ms程度、リリース200ms程度でスレッショルドを下げながら様子を見てみましょう。KNEEの設定も出来る場合は、一番緩やかなカーブを選ぶと、ちょうど良い感じになります。
手順②EQ→コンプ(デコボコならし)
下地作りが終わったら、ここからは低域のデコボコを積極的に均一化していきます。音をならすツールと言えば、やっぱりコンプレッサーです。
でも、今回はただコンプを通すのではなく、低域のデコボコをピンポイントでぶっ叩きたいという目的があるので、コンプに「この辺りをメインでお願いしますよ」という事を教えてあげなくてはいけません。
それには、スレッショルドに引っかかって欲しい部分が強調された状態でコンプにインプットされる必要があります。となると、コンプの前にEQが必要です。
具体的には、200~300Hz以下か、その周辺部分を0.5~1.5位の緩やかなQで3dB前後ブーストしながら、様子を見ましょう。
ちなみに、この際”mix into a compressor”というテクニックが役に立ちます。本サイトで時々紹介していますが、この場合の「ミックス・イントゥ」と言うのは、一つ一つの処理を個別に考えるのでなく、二つ目のエフェクトをオンにした状態で、一つ目の処理の調整をするという事です。具体的には、EQ→コンプの順でプラグインなりエフェクトを直列につなぎ、コンプの設定をザッと決めてから、「コンプを通った音をモニターしながら、その前のEQを微調整する」ということです。
個人的には、ブルーストライプの1176がこの仕事にもっとも適したコンプモデルだと思っていますが、アタックとリリースの設定は声の質や歌い方によって慎重に設定します。出発点としては、アタック12時、リリース最速(1176の場合はメモリの数が大きいほど速い設定になりますので注意しましょう)、レシオ4くらいから追い込んで行くといいでしょう。
ちなみに、ゲイン・リダクションは、VUメーターを監視しながら、最大でも5dB未満に留めます。更に追い込めると判断すれば、それ以上のコンプレッションも構いませんが、この様な「修正作業」の場合、基本的には段階的な処理を積み重ねていくことが鉄則です。
先ほどと同じように、コンプは必ず1176である必要は全くありません。たとえば、ProToolsであれば、ストック・プラグインのコンプ「Dyn3 Compressor/Limiter」でも同じような仕事ができます。
参考までに、”UREI 1176″のアタック値は0.02ms~0.8ms、一方のリリース値は50ms~1100ms(1.1秒)の間で設定できる様になっていますので、1176の挙動をエミュレートしたい場合は、それを参考にDyn3の設定を追い込んで行くといいでしょう。
ProToolsのDyn3コンプのアタック値は最速で0.01ms(10μs)、リリースが1176の10倍速い5msまで追い込めるようになっていますので、最終的な音として、近い結果にたどり着くことは可能です。あと、やっぱり”KNEE”が緩やかなカーブを描く様に設定すると、いわゆるアナログコンプレッサーの様なカドのなめらかな潰れ方になりますので、特にボーカルの処理には良い結果が得られます。
また、作業中は必ず、EQとコンプをバイパスして、元の音と比べてどう良くなっているか、よく比較するようにしてください。
もし低音がモコモコしただけで、逆にヌケが悪くなっていく様なら、何かが失敗しています。コンプが強すぎませんか?EQをブーストしすぎていませんか?Qが狭すぎていませんか?ブーストするポイントはそこであっていますか?
意外かもしれませんが、90Hz前後ほどの低帯域が決定的に足らないという事もあります。「ボーカルだから」と言う偏見は捨てて、いろんな周波数帯をブーストしてみましょう。
手順②を繰り返し何度か行う場合
大体の場合は、良い場所を一か所探して広いQでブーストすれば一発で処理できます。
しかし、更に細かな処理が必要で、狭いQで何か所かブーストしたい場合は、一か所ブーストする毎にコンプをはさみ、「EQで1か所ブースト→1~2dBのコンプ」というのを2回か3回繰り替えしながら処理に当たった方が、良い結果が得られる事もあります。
ちなみに、途中、バウンスやフリーズが必要であれば、どんどんやっちゃって構いませんからね。未だに「フリーズしたら音が変わる」とか言っているプロも居ますが、もし心配であれば、バウンスしたファイルと元のトラック、どちらか一方の位相をひっくり返して、ちゃんと打ち消し合うかどうか聴いてみるといいですよ。
僕の経験だと、何度やっても100%無音になります。
手順③:ディエッサー(EQ)→コンプ→EQ
この時点で、ボーカルの存在感が随分と復活したと思います。ただ、それでもまだ全体的に高音が耳に痛いという場合、今度はついにディエッサーを使います。
ここで一つ注意が必要なのは、プラグインのディエッサーは製品によって声との相性が本当にまちまちだという事です。dbxのハードウェア・ディエッサーは誰でも、どんな声でも、大体オールマイティに使えますが、プラグインでそういうディエッサーに巡り合ったことは、僕はまだありません。ProToolsのDyn3″De-Esser”、Wavesの”DeEsser”、Sonnoxの”SuprEsser”、いろんな所からいろんなモデルが出ていますが、もし持ってるものが複数あるのであれば、全部試して比べてみましょう。
ディエッサーの設定は簡単ですね。まずデフォルトの周波数帯域でスレッショルドを落としていって、効き方が好ましくなければ、周波数をいじる。大体4k~14kHz位でどうなるか試します。
運よく問題解決すれば、それで完了。逆に、良くならなければ、ディエッサールートのアプローチは早々に諦めて、またEQを取り出します。これは僕の主観的な意見ですが、プラグインのディエッサーは相性によりけりで、使えない時は使えません。何分も費やしていろいろいじったところで、大方の場合はパラメーター自体が少ないので、設定を追い込む事自体に限界があります。
EQを取り出したら、今度は1.5~3.0位のQで、3.5kから11k付近でもっとも効果的なポイントを探し、2dBから最大で5dBくらいカットします。マシになったら、そのあとまたコンプで、今度は最大で1~2dB位のゲインリダクションになる様な、ごく軽い設定にします。
この時点で音が暗く感じる様なら、必要に応じて5k~16kHzらへんをEQで気持ち持ち上げます。ハイシェルフでも良いし、Q広めのピークでも構いません。コツは、ブーストしすぎない事です。基本としては、ディエッサーやEQでカットしたdB値の半分くらいを目安にするといいでしょう。
これで、大体の問題にはそれなりに対処できる筈です。
関連記事:AUTO-TUNE PRO:ボーカルのピッチを修正する4つの手順
アプローチ② オートメーションで歯擦音や不均一な音量バランスに対処する
もし、アプローチ①を最後までやっても対処できないボーカル・トラックがあるとすれば、それは絶望的な設定のEQやコンプによって、もともとの素材の音量ダイナミクスが完全に破綻しているか、歯擦音が極端な形で強調されているか、どちらかのシナリオが多いと思います。そして、これに根本的に対応する策としては、もはやボリューム・オートメーション以外ありません。
実際に耳で判断しながら、大きすぎるところはボリュームカーブを小さく、小さすぎるところはボリュームカーブを大きく描いていきます。もちろん、フェーダーコントローラーなどでリアルタイムにやる作業じゃないですよ。マウスで画面を見ながら、やり過ぎない様にたまに全体を再生したりしながら、耳と目を使い、チマチマチマチマ時間をかけて慎重にやっていきます。
手間の掛かる作業ですが、録り直す選択肢が無いなら、作品を良くする方法は最終的にこれしかありません。よっぽど録り直すべきですけどね。腕のあるアーティストならなおさらです。
まあとはいえ、実はこれに近い事をほぼ自動でやってくれる天の恵みみたいなソフトがWavesから出ていて、それは“Vocal Rider”と言います。
機械なので完全にマニュアル通りとまではいきませんが、まずVocal Riderを掛けてから、残りを手動でやるだけでも、随分と時間の節約になります。そういう素材を扱う機会の多い方には大変価値のあるプラグインだと思いますので、セールか何かの折を見て、購入を視野に入れてみるのも良いのではないかと思います。
それでも問題が解決しない場合
ボーカルに限らず、すべてにおいて言える事ですが、問題らしい事態が発生した時、一番目立つところだけに意識を集中しがちです。
それでいい場合ももちろんありますが、それで解決できない場合は、やっぱりそれ以外の「オケ全体」の品質も疑ってみるべきです。
ドラムの入った楽曲であれば、一旦、キック、スネア、ボーカルだけにして、もう一度フェーダーバランスを見直してください。
この状態ですでにボーカルが埋もれるよ!という事は無いと思いますが、ハットや残りのキットを足した時と比べてどうですか?また、ベースを足すとどうなりますか?ギター、キーボードなど、その他のパーツを足すと?必ず、どこかでバランスのおかしなパーツがある事に気が付く筈です。
キックとスネア、それにベースがあって、ボーカルがしっかり聴こえていれば、他のパーツは基本的には残りの部分に流し込んでいく要領で収まるべきなので、本来なら比較的簡単なはずです。
うまくいかないとすれば、ドラムやベースのミックスが失敗している可能性がありますので、一旦休憩をはさんでから、再度、今度はそういう耳でもって隅々まで注意深く聴いてみましょう。
また、J-PopやJ-Rockを扱っている場合は、基本的にアレンジ面でも非常にごちゃごちゃしているケースが多いので、重要なパートとそうでないパートを見極め、フェーダーバランスだけである程度の形を取る事すら難しければ、重要でない要素からフィルターなどでざくざくカットしていく決断も、時には必要です。